照明感覚のこれから
時空を超えた出逢い
令和元年もいよいよ終わりに近づいていますね。今年も色々ありましたが、夏の終わりにちょっと面白い出逢いがありました。全くご縁も何の繋がりもない中国の照明業界の方から突然、“照明でつくる空間”について是非レクチャーをして欲しいという依頼を頂いたのです。
その方は日本に旅行に来たときに、私が2007年に書いた著書『デリシャスライティング』を書店で偶然手にし、こういう切り口で照明を使う感覚はなかった!と感銘を受けて連絡をしてきたというのです。
12年も前に書いた本でしたが、「照明をどのように使うか?」ではなく、「どのような気持ちになりたいのか?」という切り口で章立てにしたレシピ本というコンセプトをはじめ、照明を使って“人生の時間を楽しむ”ということが普遍的なものとして受け入れてもらったように思います。
照明の“使い方”の定義
中にはあまり生活の役に立たない、笑ってしまうようなアイデアもあるものの、そういうウィットに富んだ光との戯れ照明がようやく時代的に追いついてきたのではないかと改めて感じることができました。
今改めて考えてみると、この本を書いている時には、純粋に、もっと味わい深い光で毎日を充実させよう!といった感覚だったのですが、ここに前回の投稿でとりあげた経済優先の社会が人類の破綻に繋がるという話を解決するヒントがあるように感じます。
光の心地良さを体験する
実はLIGHTDESIGNのスタッフでさえも、この会社に入るまでこれまでの暮らしの中で、明るさのバランスを考えて照明を配置し、調光してさらに心地よい空間にするという体験をしたことがないと言う人もいました。そんなこともあって、時折私たちのスタジオで開催されるホームパーティでは、美しく心安らぐ光の中で数時間を過ごすという体験を繰り返しています。
その結果として、それぞれの人生(毎日の時間)においての照明とのかかわり方が身についてゆくものだと感じています。そういえば、ある仏教学者が対談で「AIにはできないことがある!それは消費で、つまり人間は消費に専念していくことになる」とおっしゃっていたことを思い出しました。大変面白い示唆だと思います。
案外シンプルに、「照明をどのように使うか?」ではなく、「どのような気持ちになりたいのか?」という照明感覚をもてば、人生の時間をどのような光と共に消費していくのか、という人間だけの歓びを得ることができるのかもしれませんね。